自転車で地中美術館まで。

直島二日目。昼過ぎからは地中美術館へと向かった。私が前日宿泊したのは宮浦港近くの民泊であり、そのまま南下すれば良いのだが、なんとなく琴弾地海水浴場に寄ってから地中美術館へと向かった。同海水浴場からは県道256という山の中のルートを通ることで地中美術館に向かうことができる。しかし本当に急な道になるため電動自転車必須、といった感じであった。自転車の場合はバスでの移動を推奨したい。道を走っていくと地中美術館チケットセンターというものがあり、そこで自転車を止めておける。

 

予約時間の数十分前に到着したため同チケットセンター内でしばらく時間を過ごした。チケットセンター内にはトイレ、自販機がある他、スタッフさんがカウンターにおり、飲料品などを販売していた。また建物名の通り予約に空きがあればチケットを購入することもできるのだろう。

 

さて、地中美術館の説明に移りたい。地中美術館は福武総一郎の、"鑑賞者が思案する場として「21世紀のドグマのない教会」を作りたい”という想いが始まりとなって建てられた。鑑賞者と作品が一体となる作品づくりを目指した後年のモネの「睡蓮」三作品を中心として、ジェームス・タレルによる三つの作品、ウォルター・デ・マリアの一作品が展示されている。

 

そうして美術館内部に入ると、各作品の位置が記された標識があった。下の階にはデ・マリアの作品があり、その階には他の作品が置いてあったとか、そんな感じであった気がする。まずはモネの睡蓮を見に行った。モネの作品群が飾ってある場所が奥に入らな得れば見られない位置になっていて、発見する楽しさを味合わせてくれるような構造だな、と思い、これを意図的にやっていると明示していたカルフォルニアディズニーにあるミレミアムファルコンの配置を思い出した。

 

さてこのモネの作品群だが、(モネ及びその作品に対する理解不足という点が大きいのだろうが)あまり面白くなかった、というのが正直な感想だった。別に見ていても何かを感じることもなかった。が、その大胆な筆致は印象的であった。なんとなく、ムンクの「病める子」における荒い筆致に似ているように感じた。

 

次にジェームズタレルの作品群を見て回った。その中でも異彩を放っていたのは「オープン・フィールド」である。靴を脱いだ後、空間内に入ると、階段の上に巨大な青い四角形が目に入る。指示に従いながら、階段を上がっていき、四角形の中へと入っていく。中は無機質な空間になっており、その中を淡々と進んでいく。そうしてただ進んでいくという体験は何か自分が全く別世界に入ったような、そんな感覚を覚えた。

 

最後に向かったのはデ・マリアの「タイム/タイムレス/ノー・タイム」である。階段を下り、作品(空間)に入ると、この作品の持つ荘厳な空気感に圧倒された。空間は非常に広く、天井は高く、奥行も深い。こうした要素に加え、本空間の自然性を徹底的に排除し、緻密さを求めるという特性がこの荘厳な空気感を作り出しているのかもしれない。

 

出展:Benesse Art Site Naoshima 「地中美術館」

 

こうして地中美術館を周って、特に後半で触れた二つの作品の鑑賞体験は、自分の中で、鑑賞体験の意義を感じさせてくれたなと思う。基本的にどんなアートも今はネットで見ることができるが、実物を観るという鑑賞体験は質感や雰囲気といった、実地で鑑賞しなければ分からないものを感じることができ、作り手側の意図に繋がるその作品の機能を理解することになると分かった。

 

さて、ここまで読んでいただきありがとうございます。しかし私が今深夜にこれを書いている関係上読みにくい、文章として成り立っていない点が多数在ると思いますので随時書き換えていく予定です。またこうした作品制作の意図やそのための仕掛けなどについては地中美術館、またはベネッセアートミュージアム売店で売られている「地中美術館」という本、または地中美術館限定販売の「地中美術館ハンドブック」に載っていますのでそちらをご購入されるのがよろしいかと思います。